子供のころ住んでいたところに、ふと行ってみたくなり、連休中に行ってみました。
住んでいた環境
東京の都営住宅に、小学校2年生まで住んでいました。
父が東京都の職員だったので、そこで管理人をしながら住んでいたのだと思います。
父が集金をするのに付いて、いろいろな家を回った記憶があります。
当時、平家木造戸建の家で、縁側や庭や池もあり、サザエさんの家みたいな感じでした。
相当な戸数の家々が建ち並び、敷地内には広場や公園などもあり、のどかな環境でした。
豆腐屋さんから鍋で豆腐を買ったり、公園に紙芝居が来るのを楽しみにしたりしていました。
家にはお風呂がなく、銭湯に通っていました。
お風呂上がりの瓶のいちご牛乳が嬉しく、毎週土曜日は急いでお風呂から帰り、「8時だよ!全員集合」を見るのが楽しみでした。
ほとんど記憶にないけど
連休の朝、最寄りの駅で電車を降り、まずは、小学校へ行ってみました。
1年間しか通っていなかったけど、校舎や校庭の記憶はなんとなくありました。
思っていたよりずっと、校庭が狭くてびっくりしました。
小さいときに見るものは、大きく見えていたのですね。
2年生のとき、近くにできた小学校にも行ってみました。
当時新築だったので、ピカピカの建物だと記憶していましたが、すっかり古くなってました。
当たり前ですよね。50年も経っているので…
音の記憶は意外とあって、両方とも小学校の校歌のサビだけは覚えています。
住んでいた戸建ての住宅はすべてなくなり、都営住宅はすべて集合住宅になっていました。建物も、周りの景色もすべて変わっていて、ほとんど記憶にありませんでした。
近所の家もお店もなくなってしまい、そこに住んでいた人も皆どこかへ引っ越したのでしょうね。
ただ、当時よく通っていた友達の家(床屋さん)だけはありました!
勇気を出してお店に入って、事情を話すと友達の弟さんでした。友達は結婚して、今は別のところに住んでいるとのことでした。
行ってみてよかった
50年前に引っ越して以来、一度も行っていなかったので、街も様変わりし、自分の記憶もほとんど残っていませんでしたが、わずかに覚えていたことが少し鮮明になり、とても懐かしかったです。
たくさん遊んだことや幼稚園や学校で過ごしたことなどを、思い出すことができました。
自分という人間が、その街で育ち、いろんな経験をして今があるのだなあと思うと、とても感慨深いです。
床屋さんのお友達とは、弟さんのおかげで連絡が取れて、LINEも交換し、懐かしい話ができました。また、ゆっくり会えたらいいねと約束しました。自分が子供だったのかを知ることができそうで、また楽しみです。
■編集後記
友達がLINEで幼稚園のアルバムを送って見せてくれました。
なんと、白黒写真…!
50年前ですものね。
友達はスチュワーデス、私は看護婦になりたかったようです。