老いるということ

改めて老いるということを考えてみました。

父の免許返納

今年の2月、83歳になる父が運転免許を返納しました。
きっかけは、75歳以上の更新時に行われる認知機能検査です。
ブレットとイヤホンを使う形式だったそうで、慣れない機器に気後れしてしまい、十分に答えられなかったのだとか。

もちろんその影響もありますが、父には日常生活でも危なっかしいところがあり、家族としては以前から返納を望んでいました。本人は16歳の頃から運転を続け、大型免許も持ち、運転が大好きで自信のある人でした。それだけに免許を手放すことは大きな決断でした。
再検査や医師の診断を経て免許を維持する道もありましたが、家族で話し合い、最終的には返納することになりました。
事故を起こしてからでは遅いということを理解してもらいました。

父母の生活の変化と家族の支え

父と母は二人暮らしで、これまでは父の運転が生活を支えていました。
返納後は不便さが一気に増しました。
母も足腰が悪く、最寄りのコンビニまでの400メートルを歩くのも難しい状況です。
今では買い物や通院は、私や妹が手助けしなければなりません。
今まで自分たちで自由に暮らしてきた両親にとって、この変化は大きく、生活の不自由さを実感しているようです。

自分自身の老いを考える

自分のことを考えました。まだ自分が動けなくなるということはイメージできませんが、確実に体は変化しています。
一番身近に感じるのは老眼です。手元60センチ以内のものがはっきり見えず、スマートフォンの画面や書類の細かい文字を読むのに苦労する毎日で、確実に「老い」を意識させられます。
いずれ私も免許を返納することになるでしょう。
私も運転が大好きで、自転車のように毎日車に乗っているのでその時がきたら抵抗するんだろうなと思います。

いろいろ考えましたが、年を取っていくのは仕方のないこと。私は「体が自由に動くうちにたくさん遊ぶ」をモットーにしており、老いを受け入れながら楽しみながら生きていきたいと思っています。

記事担当:相馬